ホーム > プロジェクトインタビュー − 第8回プロジェクトインタビュー:名護博物館 様

プロジェクトインタビュー

第8回プロジェクトインタビュー:
 名護博物館 様


第8回プロジェクトインタビュー:名護博物館タイトルバナー

『名護・やんばるのくらしと自然』の素晴らしさを後世に伝えるために

豊かな自然に囲まれた沖縄県名護市。心地よい風が吹き、穏やかな空気が流れる高台に、2023年5月、名護博物館が名護市東江から同市大中へ移転しリニューアルオープンしました。これまで博物館でありながらも時には市民の憩いの場として、地域に寄り添い、愛されてきた名護博物館。博物館活動の理念である“ぶりでぃ”の思いを受け継ぎ、時代の流れとともに失われつつある、昔ながらのくらしや自然をしっかりと後世に伝えていくという役割と、これまでの愛着のある旧博物館の雰囲気をどう表現していくか。本稿では、名護博物館の館長・スタッフの皆さまと当社プロジェクト担当者が、「新しいけど変わらない」新博物館への思いやエピソードを語っています。
※ぶりでぃ:「みんなの手で創り上げる」ということを表現する言葉で、多くのものが集まっている状態を表す方言「ぶり」と、手を表す方言「てぃ」を組み合わせてできた言葉

 

名護市大中へ移転しリニューアルオープンした名護博物館

名護市大中へ移転しリニューアルオープンした名護博物館

名護市教育委員会
名護博物館
 文化課長兼博物館長
仲田 宏 様

沖縄県名護市生まれ。1994年南九州大学卒業後、名護市役所の臨時職員を経て、1995年より名護市役所職員として勤務。都市づくりの計画、都市基盤整備、景観まちづくり部署など、市民生活や地域の活性化などに広く関わる業務に携わる。現在は、名護博物館館長として、これまで培ってきた経験や知識を活かし、ミュージアムと地域の活性化に取り組んでいる。

名護市教育委員会
名護博物館
 学芸員
村田 尚史 様

千葉県我孫子市生まれ。高校の修学旅行をきっかけに沖縄に憧れを抱く。現東京海洋大学水産学部卒業後、同大学海洋環境保全学専攻修士課程修了。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究支援パートタイマーを経て、2009年より名護博物館学芸員として勤務し、自然史分野を担当するほか、新博物館事業の主担当を務める。

名護市教育委員会
名護博物館
 職員
田仲 康嗣 様

沖縄県名護市生まれ。1994年東京芸術大学美術学部工芸科卒業。卒業後より造形活動を開始し、関東を中心に個展・グループ展を行う。2006年帰郷。2016年より名護博物館に嘱託職員として勤務。主に美術工芸写真担当。ほかに館収蔵資料のデジタルアーカイブ化に取り組む。

名護市教育委員会
名護博物館
 学芸員
山田 沙紀 様

東京都あきる野市生まれ。2016年武蔵大学社会学部社会学科卒業後、自分のルーツがある沖縄県名護市へ移住。県内外でイベントやワークショップ、デザインを通じて、沖縄の農や食、文化を伝えつなぐ仕事や活動に携わる。2020年より名護博物館の学芸員として勤務。現在は、主に名護博物館の企画広報や施設の管理運営を担当。

株式会社トータルメディア開発研究所
西日本事業本部
伊藤 杏里

2017年トータルメディア開発研究所入社。プロジェクト業務推進を担当。
入社以来、公共博物館の計画・設計、防災学習センターや企業ショールームなどの展示整備を手掛ける。名護博物館においては基本計画・基本/実施設計・制作を継続して担当し、地域に根差した博物館づくりを目指した。

株式会社トータルメディア開発研究所
西日本事業本部 チームリーダー
会津 寿美子

建築設計職を経て1998年入社。一級建築士。展示プロデューサーとしてカップヌードルミュージアム、ニフレル(水族館)/照明普及賞優秀施設賞、藤田美術館/日本空間デザイン賞2022金賞他、幅広い分野の文化事業に携わる。名護博物館の整備では「ぶりでぃ(みんなの手で創り上げる)」の理念に沿ったものづくりを念頭に、博物館づくりの原点に立返り、地域の皆さまと共に名護らしさを大切にした施設づくりにつとめた。

 

名護博物館 入口の銘板

名護博物館 入口の銘板

旧博物館の老朽化に加え、市民の方の活動する場所が少ないなど、早期からリニューアルの必要性が議題にあった。

(名護博物館 館長 仲田 宏 様、以下、仲田館長)
最初に、リニューアルの経緯を振り返りたいと思います。これは沖縄全体に言えることですが、観光振興という理由も大きかったです。博物館としての機能の充実を目的に、基本構想が始まったのが2008年頃。用地をどうするかなどを含め、足掛け15年ほどかかりました。

(名護博物館 学芸員 村田 尚史 様:以下、村田氏)
旧名護博物館は、1984年に旧名護市役所を改装して造られたもので、約40年ぶりのリニューアルについては、老朽化という点もありましたが、駐車場が少ない、市民の方の活動する場所がないなど、問題点も多くリニューアルの必要性は早い段階から議題となっていたんです。博物館として、いろいろなニーズを満たすためには新しくする、というのが一番の理由だったと思います。

名護博物館のリニューアルのプロセスを、当時のエピソードと共に振り返る

名護博物館のリニューアルのプロセスを、当時のエピソードと共に振り返る(古民家)

名護を知るためには、やんばる全体のことを知ってもらうことが必要。

(村田氏)
旧館時代から、名護博物館は「名護・やんばるのくらしと自然」をテーマに展示や企画などを行なってきました。名護を知るためには、やんばる全体のことを知ってもらう必要があるので、表現の仕方は変わっても伝えたいことは同じ。新しくなっても基本的なテーマは変わっていません。名護博物館はとても特殊な博物館で、ここで育まれてきた土壌やテンポみたいなものがあって。市民の方たちにもとても愛されている施設だったので、それをできるだけ新しい博物館にも引き継ぎたいというのが、職員皆の思いでした。

「名護・やんばるのくらしと自然」をテーマに、旧博物館の資産を新博物館にも継承。

「名護・やんばるのくらしと自然」をテーマに、旧博物館の資産を新博物館にも継承。

くらしと自然がとても近い名護の特色を打ち出す。長い時間をかけてこの土地で積み重ねられてきた“味わい”を伝えたい。

(名護博物館 学芸員 山田沙紀 様:以下 山田氏)
学生時代に各地のいろいろな博物館を観てきましたが、初めて名護博物館を訪れたときは衝撃でした(笑)。全体の空気感や解放的な感じとか、まるで風の通り道になっているかのような、地域に馴染んでいる雰囲気というか。決してきれいではないし、物もたくさんあるのに、どこか居心地が良い。
長い時間をかけてこの土地で積み重ねられてきた“味わい”みたいなものが、とても新鮮でした。新しくなる計画があると聞いた時は、ぜひここで働きたい、この雰囲気を残したいという思いになりましたね。

(名護博物館 職員 田仲 康嗣 様:以下 田仲氏)
沖縄の北部に位置する名護は、人が暮らす地域と自然がすごく近いんです。ちょっと行けば海遊びや山遊び、川遊びができるところがある。自然と人との生活の密着度がとても高くて、集落ごとに自然と文化の繋がりに多様性があり、それが大きな魅力でもあると思うので、その有り様を博物館の展示に反映していければ良いなと思いました。博物館のテーマは変わらないわけですから、旧館が造られた約40年前のやんばるの表現を、僕ら世代の感覚でどう表現できるか、現在も日々試行錯誤しながらやっている感じです。

 

自然とくらしの密着度が高く、集落ごとに文化の多様性がある名護。

自然とくらしの密着度が高く、集落ごとに文化の多様性がある名護。

(株式会社トータルメディア開発研究所 プロデューサー 伊藤 杏里:以下 伊藤)
新館の基本構想は2008年度でしたが、10年後ようやく具体的に動き出した時に、私と会津が関わらせていただくことになりました。そこから、計画、実施設計、制作を担当することになったのですが、最初は沖縄の方言を聞き取るのに精一杯で(笑)。初めて旧館を訪れた際も、「なんだこの展示は?」と衝撃を受けました。打ち合わせの場所も半屋外のところで、地域の方や隣の小学校の子どもたちがふらっと入ってきて、とても自由だったんです。地域と博物館の境界線がないような施設でしたし、打ち合わせを重ねていく中で、そういった地域性や空気感なども含めて残していきたいという思いを、職員や地域の人から感じました。

(株式会社トータルメディア開発研究所 チームリーダー 会津寿美子:以下 会津)
旧館の雰囲気を踏襲するために、展示室のデザインなどは田仲さんに監修していただきました。旧館の名残というか、残したい部分のコンセプトなどお題をいただいて、それをどう形にしていくか結構悩んだ部分でもありました。

常設展示で最初に目に入る巨大な骨格標本は、名護の捕鯨や「ピトゥ漁」を伝える貴重な資料。

(村田氏)
名護博物館の常設展示では、主に「海」「山」「まち・ムラ」の3つのカテゴリーに分け、やんばるの文化、歴史、自然との共生などをわかりやすく紹介しています。常設展示で最初に目に入ってくるのが大きなクジラの骨格標本です。「ピトゥ漁」を含む名護の捕鯨文化を伝える資料としてザトウクジラの骨格標本を新たに展示したいと思い、全国を探して千葉の館山市にご協力いただきました。約10メートルの骨格標本を譲っていただき、こちらと併せて旧博物館にあったマッコウクジラやシャチの骨格標本を展示しました。

展示室の導入部に天吊りされた大型の骨格標本

展示室の導入部に天吊りされた大型の骨格標本

(会津)
骨格がきちんと見えるようにライトをあてるのですが、限られたスペースにこれだけ何体も吊るすとなると、どうしても影の部分ができてしまいます。その影を消すために、かなりの数のスポットライトをいろいろな角度からあてています。床からのスポット照射も入れているんです。

骨格をしっかり見せるために多数のスポットライトを使用。

骨格をしっかり見せるために多数のスポットライトを使用。

旧館から巨大な骨格標本を搬出して新館に設置するまでは様々な苦労も。

(伊藤)
これだけ巨大なものを天井から吊るすのは大変難しい技術を要します。旧館にあった大きなマッコウクジラの骨格標本は、そのまま外へ出すことが不可能だったので、旧館の壁を一部解体して搬出しました。骨格は一旦船で京都まで運び、そこで仮組をして、監修の先生にフォルムなどのご指導をいただいた上で金物を製作、再度部分的にバラして現場で組み上げました。

旧館からの骨格標本の搬出の様子。

旧館からの骨格標本の搬出の様子。

 

旧館の壁を一部解体してのクレーンによる搬出作業。

旧館の壁を一部解体してのクレーンによる搬出作業。

 

名護“らしさ”をいかに展示で表現するか。手作り感や素朴さを残した展示の検討。

(田仲氏)
新しい博物館って、最先端の格好良さやきれいさなどがありますよね。新しい施設を視察してみて「こういうのってうちじゃない、名護博(※名護博物館の略)はこうじゃないな」と思ったんです。展示のデザインやコンセプトの方向性を検討していた時に僕が皆に言ったのは、「ギリギリダサくない野暮ったさをキープしたい」ということ(笑)。新しいきれいな施設の中で、ギリギリのところで踏みとどまるのが、逆にとても格好良いんじゃないか、と思ったんです。それって手作り感だったり、日々何かに手を入れつつ積み重ねてきたものが垣間見える展示だったり。ただ古くなっているというのではなく、都度手を入れながらその過程でできるデザインのブレなどが逆に魅力で、それが名護博らしさになっているんじゃないかと思いました。その“らしさ”をどうにか新館でも表現したいと思ったんです。

自然と共にある“名護らしさ”を打ち出すために、手作り感や素朴さを残した展示を模索。

自然と共にある“名護らしさ”を打ち出すために、手作り感や素朴さを残した展示を模索。

(伊藤)
最初は旧博物館のデザインや、ある種の手作り感、素朴さを残すということに対して、私自身疑問に思うこともありました。せっかく予算をかけて新しい建物を造るのに果たしてそれで良いのか、という葛藤もありました。ですが、皆さんとお話しをし、文化を知っていく中で、「名護博らしさって新しい物にするということではないな」と感じるようになりました。だから今でも、私たちが展示を造ったという感じがあまりなく、博物館さんが造る展示の土台作りをお手伝いさせていただいたという感覚です。

(村田氏)
私も千葉からこの名護へやってきて学芸員として赴任した当時は、新しい博物館を造りたい!と思っていた時期も正直ありました。ですが、具体的に構想がスタートするまで数年ありましたので、その間この土地で暮らし、活動していく中で、名護博の先輩方や地域の皆さんが大事にしてきたものを、しっかりと残していきたいという思いがだんだん強くなっていきました。

(山田氏)
博物館というだけでどうしても敷居が高いと感じてしまう人もいると思います。そこで私たちが基準にしたのは「おじいやおばあが緊張しない」ということ。敷居が低い、今まで通りの博物館でありたい、だから最新のものは必要ないというオーダーをしました。

博物館としての敷居を感じさせない、どこか懐かしい雰囲気が漂う展示室。

博物館としての敷居を感じさせない、どこか懐かしい雰囲気が漂う展示室。

(伊藤)
皆さんからのオーダーに対して、新しい博物館は規模も大きくなりますし、新築なので「きれいになってしまったらどうしよう」といった、逆のプレッシャーはありましたね(笑)。設計の打ち合わせの際、村田さんが「あとは30年かけて僕たちが作り上げていきます」と言われたのを聞いた時に、工事して完成という博物館ではないんだなと、すごく腑に落ちて。それから私も考え方が変わっていきました。

(仲田氏)
古き良きものを残すというのが皆の共通の思いでもありましたし、トータルメディアさんにはいろいろとお願いもしました。お互いに言いたいことも言い合える信頼関係もできましたし、こちらの要望もしっかりと汲んでくださったと思っています。

展示台や解説パネルの存在感を抑え、資料との距離感を少なくした展示。

展示台や解説パネルの存在感を抑え、資料との距離感を少なくした展示。

実際に使われていたモノに手で触れてみて、肌で感じることで伝わる展示を。

(村田氏)
現在の新しい名護博物館もそうですが、旧博物館時代から展示物には手を触れてもOKとなっています。特に民具などは、触ってみないとどういうものかがわからないという考えが根本にあります。一般的な博物館とは考え方が真逆にはなりますが、実際に触れてみて肌で感じることで伝わるものがあると思うんです。展示室の中央にある漁船は沖縄の伝統的なもので「サバニ」と呼ばれるもの。最近まで実際に使われていたモノを、市民の方が寄贈してくださいました。もちろん、こうしたものにも実際触れることができます。

(山田氏)
この網の清掃はけっこう大変だったんですが(笑)、こうした道具類なども、地元のボランティアやサポーターの方々が修復や清掃に協力してくださり、きれいにして展示することができています。

手で触れられる沖縄の伝統的な漁船「サバニ」は市民の方からの寄贈。

手で触れられる沖縄の伝統的な漁船「サバニ」は市民の方からの寄贈。

 

環境再現のコーナーでは、生きものの生態だけでなく、細かい部分に名護の歴史や文化が見え隠れする展示を目指した。

(村田氏)
海辺の展示コーナーには実際の砂を敷いて貝や生き物の剥製を展示しています。なるべく来館者に近いところでケースを使わずに展示したいと思っていたので。今後は剥製作りのワークショップなどを開催して、みんなで作ったものを展示する市民参加型の展示づくりを行いたいと思っています。

(伊藤)
実物資料の展示だけでなく、こうした自然環境の造形物をプラスすることで、人と自然の共生をよりリアルに伝えることができていると思います。生きものの生態はもちろんですが、細かい部分に名護の歴史や文化が見え隠れする展示もあり、いたるところで新たな発見ができるようになっています。

実際の砂を敷き詰めて、やんばるの海辺を再現したコーナー。

実際の砂を敷き詰めて、やんばるの海辺を再現したコーナー。

やんばるの貴重な歴史と文化を伝える展示を大切にしたい。

(村田氏)
この岩場の再現展示には「風葬墓」というものがあります。かつて沖縄では、人の遺体を火葬や土葬ではなく、こうした岩場の中などに安置して弔う方法がとられていました。これもやんばるの貴重な歴史と文化を伝えるものなんです。現代ではこうした風習をご存じない観光客の方もマリンレジャーなどでいらっしゃって、実際の岩場に現存する風葬墓の保全が課題となっています。こうした点についても、博物館として伝えていきたいと思っています。

岩場にある「風葬墓」の再現

岩場にある「風葬墓」の再現

(伊藤)
こうした造形物は、資料を見ただけではわからないので、実際に現地に調査へ行き、その成り立ちや背景などを知ることから始めました。
やんばるの森の環境再現についても、実際に採取した樹木と造形を組み合わせて表現したり、背景の森の風景を撮影して、手前の造形とうまく馴染ませるようにしています。よく見ていただくと、森の中には様々な生きものが見え隠れします。それを見つけてもらえたら嬉しいです。
環境再現の手前には、山のくらしの営みを示す生活道具を展示しています。自然環境とくらしの密接なつながりを表現しているんです。

リアルに再現された森の中に動物たちの姿が見え隠れする。

リアルに再現された森の中に動物たちの姿が見え隠れする。

 

自然環境と共に、山のくらしの営みを伝える資料も展示。

自然環境と共に、山のくらしの営みを伝える資料も展示。

虹色のグラデーションの壁は旧館のオマージュ。名護の一日の時間の移ろいを醸し出す演出。

(伊藤)
田畑や庭を展示するコーナーのカラフルな壁は、旧博物館の虹色の壁をモチーフにしています。名護の山や桜、朝から夜への一日の時間の移り変わりなどを表現したもので、山田さんに原案を作成いただき、それを元にデザインしたものなんです。

(山田氏)
旧博物館は自分たちで壁を塗ったりしていたのですが、その時のムラなどもあえてグラフィックで表現してもらい、前の雰囲気を残してもらいました。

名護の一日の移ろいを虹色のグラデーションで表現。

名護の一日の移ろいを虹色のグラデーションで表現。

 

市民から寄贈された数多くの資料。名護博物館はまさに「ぶりでぃ(みんなの手)で創り上げる博物館」。

(村田氏)
展示している民具などのほとんどが市民の方々から寄贈されたもので、旧博物館にあったものを展示しています。博物館活動の理念である“ぶりでぃ”という考え方、「群れる手」と書いて“ぶりでぃ”、「みんなの手」という意味なんです。名護博物館はまさに「“ぶりでぃ”で創り上げる博物館」。それはハード面だけでなく、活動といったソフト面も含めて、地域の皆さんと一緒にということを大事にしています。

市民の方々から寄贈を受けたさまざまな生活資料を展示。

市民の方々から寄贈を受けたさまざまな生活資料を展示。

(村田氏)
1960年代から1970年代は生活が激変した時代です。本土からいろいろな物が入ってきて、やんばるの昔ながらのもの、生活はもちろん民具やアグー豚などもそうですが、そういったものが無くなることを危惧して資料収集をしたのが名護博物館の始まりでした。
これから先もそうした物や背景などは確実に失われていくので、それらをきちんと記録し、表現していくことが名護博物館の役割なのかなと思います。

(伊藤)
実際、さまざまな部分で地元の業者さんにもご協力いただきました。居住コーナーの床材は旧館で使用していた板を、地元の木工屋さんに製材し直していただき再利用しました。その際、この木材が今では貴重なものであることがわかったんです。それも地元の方だから気づけたことでしたし、皆さんとても喜んでご協力くださいました。展示物の説明パネルの原稿なども、英訳するときに方言や文化的なことを理解している方が翻訳しないと、ニュアンスが違ってしまうので、名護市にある名桜大学の先生に入っていただき、より正確に伝えるようにしました。

名護の暮らしの展示から環境共生のヒントを得たり、未来のより良い社会の実現に繋げてほしい。

(村田氏)
名護博物館の大きな特長は、先人の知恵を再確認できるところにあります。古い道具を観て昔を懐かしむというだけでなく、昔の暮らしの中には今でいうSDGsというか、環境共生型の社会へつながる知恵が詰まっています。この「ウヮーフール」という豚の飼育小屋を兼ねた便所の展示もそうです。人と自然との距離が近かった時代の暮らしを観て、自然をもっと身近に感じてもらうこと。そしてそこから何かヒントを得ることで、未来のより良い社会の実現に繋げていって欲しい、そこに私たちが貢献していきたいと思っています。

昔の暮らしの知恵から環境共生のヒントを学べる展示:豚の飼育小屋を兼ねた便所「ウヮーフール」

昔の暮らしの知恵から環境共生のヒントを学べる展示:豚の飼育小屋を兼ねた便所「ウヮーフール」

「やんばるの歴史や文化がとてもわかりやすかった」という声は何よりの励み。

(村田氏)
展示の準備はオープンぎりぎりまで続きましたが、何とか開館にこぎつけて、オープン以来、地元だけでなく、県内外から多くの方が訪れてくださっています。
展示などをつくっていく過程で、「これはうまく伝わるかな」と私たち自身不安だったところなども、お客様がちゃんと思いを汲み取ってくださっていて、「やんばるの歴史や文化がとてもわかりやすかった」という声もいただき、ホッとしています。
開館して半年ですが、収蔵資料はたくさんありますし、まだまだ展示したいこともあります。これからもずっと活動し続けていきます。

名護は自然の宝庫。その素晴らしさを伝える博物館の活動は永遠に続く。

名護は自然の宝庫。その素晴らしさを伝える博物館の活動は永遠に続く。

(山田氏)
私が博物館に入ってからは、ずっと館自体が休館して新館の準備に取り掛かっていました。こうして無事に開館し、市民の方たちがギャラリーなどを利用してくださるのをみて、とてもうれしく感じています。博物館が皆さんの活動の場として広がっていけたらいいなと思いますし、博物館と人、地域との繋がりをこれからどう育んでいけるのか、自分自身楽しみでもあります。

(村田氏)
まだまだ未完成な部分もあるので、トータルメディアさんにはこれからもいろいろなアイデアをいただけたらうれしいですね。

話題は年表のその先へ…。これからの名護博物館の活動へと及ぶ。

話題は年表のその先へ…。これからの名護博物館の活動へと及ぶ。

これからもずっと手を入れ続け、『名護博らしさ』を作り上げていきたい。

(田仲氏)
まだまだ展示しきれていない収蔵品もたくさんあります。それらをきちんと整理して、改めて市民の皆さんに還元できるような体制を作って行きたいと考えています。自分たちでできる事の中で手を入れ続け、『名護博らしさ』を作り上げていければ良いなと思っています。

(仲田館長)
おかげさまで、小さなお子さんからお年寄りまで、多くの方にご来館いただいています。訪れる人によって感じ方や伝わり方は違うと思いますので、それぞれにやんばるの魅力を感じていただけたらうれしいです。

(会津)
私たちは「名護博物館友の会」にも入っていますので(笑)、これからもさまざまな面でしっかりとサポートしていけたらと思います。

 

2023年10月30日 名護博物館にて収録

2023年10月30日 名護博物館にて収録

 

名護博物館に関するプロジェクトレポート

基本構想/基本計画/
展示施設設計/展示制作・工事

自然と共にあるくらしの豊かさを未来へつなぐ施設へ

1984年開館の名護博物館は、老朽化等による休館を経て、この度移転し、名護・やんばるの自然と文化の発信拠点として再出発した。リニューアルでは、やんばるの豊かな自然と人々のくらしの密接なつながりを視座に展示を再構成。導入部1階では、やんばるの概要を自然特性や生物多様性、先史時代からの歴史等を切り口に、映像や歴史年表でわかりやすく紹介した。2階では集落と環境の観点から、「海」「山」「まち・ムラ」をテーマに展示を構成。自然と人の営みが不離一体であった時代の“名護・やんばるのくらしの情景”を再構成した展示の他、北部地域の沖縄戦の実相、今日にも息づく儀礼や祭祀等を資料中心に紹介している…。続きを読む

その他のプロジェクトインタビュー



第7回:
福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館 様
福澤諭吉の生涯や今なお新しい思想とともに、慶應義塾の理念を発信する展示館を目指して



第6回:
JX金属 磯原工場ショールーム ISOHARA Showroom 様
先端素材の広がりやさらなる可能性を想起させる次世代型ショールームを目指して



第5回:
京急ミュージアム 様
京急グループ本社新社屋ビルに、お客様の歓声が響く“にぎわい施設”をつくる!




第4回:
石川県立図書館 様
“思いもよらない本との出会いを生み出す”新たな概念の図書館を目指して




第3回:
スペースLABO(北九州市科学館)様
多くの人たちにとってワクワクする『科学の入口』となる施設を目指して



第2回:
高砂熱学イノベーションセンター MIRAI MUSEUM AERA 様
「空調」に対する認知度向上と、高砂熱学工業のブランディングを目指して



第1回:
生きているミュージアム ニフレル 様
生きものたちが持つ多様な個性をテーマにした新しい施設を目指して

プロジェクトインタビュー

ページのトップへ戻る